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よくわかる北朝鮮旅行2016年5月 by 神谷奏六

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北朝鮮の観光スポット 〜金日成の生家・万景台へ行く(2)万景台革命事績館で金日成の偉業の説明を聞く〜

平壌観光で一度は必ず寄ることになっているらしい、金日成の生家がある万景台(マンギョンデ)の万景台革命事績館では金日成の家系の紹介に続いて、本題の金日成の偉業の説明を受けます。




現地ガイドいわく、1912年4月15日にこの万景台の農家で生まれた金日成は、現地ガイドいわく、抗日闘争の英雄であった父、金亨稷(キム・ヒョンジク)と一緒に抗日闘争に参加したそうです。

北朝鮮の歴史認識では、金日成若干7歳の時に、三・一独立運動に参加して活躍したことになっています。



ジャーナリスト・池上彰氏の著書「そうだったのか! 朝鮮半島 (そうだったのか! シリーズ)」には、金日成の生い立ちも、証拠の文献と合わせて詳細にまとめられています。


この革命事績館では父と母の熱心な教えによって、偉大な革命家としての歩みを進める過程が絵で表現されていますが、池上彰氏の上記著書や、現在公開されている各種資料によると、父と母は革命ではなく熱心なキリスト教徒であり、若い頃は家族で熱心に教会に通っていたというのが世界の有力説です。




その後、現地ガイドの説明と、現地の絵によると、抗日闘争によって逮捕・拷問を受けた父、金亨稷(キム・ヒョンジク)の思いを受け継いで、金日成も抗日闘争への道を本格化させます。

金亨稷(キム・ヒョンジク)が逮捕された理由は、抗日闘争ではなく、アヘンの密売だったという説も存在しますが、それは日本の流したデマだという北朝鮮の主張も存在しています。




現地ガイドの説明によると、その後、金日成は中国や、北朝鮮の霊峰(日本でいうと富士山みたいな位置づけの山です)白頭山(ペクトゥサン)にて、抗日闘争を指導します。

北朝鮮の歴史では、金日成は14年で10万回の戦いに参加し、全勝したということになっていますが、どうやって1日20回も戦いをこなしたのかは不明です。

実際は金日成は小学校に入るころからほとんど中国にいて、1930年代前半に中国共産党に入党、その後1940年に党の許可を得ずにソ連に逃げ込んでから、終戦まではほぼ前線に出ずにソ連軍で訓練をして過ごしたことが中国とソ連の資料により明らかになっていますが、この説明は現地ガイドからはもちろんありません。




現地ガイドいわく、日本の支配は金日成の活躍のおかげで第二次大戦の終戦とともに終了し、白頭山から北朝鮮に凱旋帰国、万景台にも寄り親族との感動の再会を果たし、1945年10月14日に平壌で開かれた「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」で初めてその顔を市民に見せてスピーチし、祝福をされたそうです。

当日の写真も飾られています。




「金日成のおかげで終戦」「白頭山から帰国」のくだりはおいといて、万景台に寄ったのは、金日成の経歴を詐称して北朝鮮国民に発表することにソ連が決めたため、経歴の口裏合わせを親族とするためだったというのが有力説です。

ここで親族と感動の再会を果たしたことになっているのですが、この時点で両親は亡くなっていて、また本当は存命だった祖父は孫の金日成の経歴詐称に反対したためか、北朝鮮の歴史では1936年に死んだことになっているので、「親族との再会」は「おばあちゃん2人との再会」が本当なのですが、この詳細は語られていません。

さらに、ソ連解放軍歓迎平壌市民大会では、10万戦全勝の将軍が若すぎる上に、幼い頃から中国暮らしだった金日成の朝鮮語がカタコトだったため、会の途中で偽者疑惑が浮上して騒然となるという事態が起こっていますが、これも触れられていません。

(「キム・イルソン」という読みの別のまあまあ強かった将軍の名前に改名することで、戦歴をまぎらわしくしようとしていたので、偽者であるという疑いの方が正解です。)



上述のソ連解放軍歓迎平壌市民大会の当日の写真では、金日成が中国軍、ソ連軍と談笑している写真が飾られています。

ガイドいわく「ソ連、中国からも厚い信頼を得ていた」とのことです。

再掲です。

いや、明らかに「うまくやれよ。わかってるな。な。」という感じだと思うのですが。

ただし、ソ連の独裁者スターリンは「一番、オレの言うことを聞く奴」という基準で金日成を指名して北朝鮮に送り込んだので、このガイドの説明の「厚い信頼」はある意味、嘘ではないと言えます。



その後、「革命の転換点」として、金正日への継承を熱心に行ったことの解説があり、1994年に金日成が亡くなった時は国全体がいかに悲しみにくれたかの解説があります。

最後の部屋では、金日成の歌がBGMになっている金日成の生涯を紹介した映像を見て、終了です。



現地ガイドの説明では金日成の呼び名は終始徹底して「偉大な金日成主席」でした。

途中で、私が

「この絵はなんですか?」

と絵を指差して質問したところ、

「指をささないでください!手を開いて5本の指で示してください。
 日本には号に入り手は号に従えと言う諺があります。北朝鮮ではそのように・・・」

ときつめに叱られました。


かなり徹底されていたと思います。


革命事績館の次は、金日成の生家に向かいます。


金日成の歴史と、それがどのように偏った認識で北朝鮮で伝えられているか、それによりどんな支配効果をもたらしているかはこちらの本がわかりやすいです。


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