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よくわかる北朝鮮旅行2016年5月 by 神谷奏六

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北朝鮮の共同農場見学 〜青山里・共同農場の見学に行く〜 (2)青山里精神・青山里方式について

北朝鮮旅行の中の要注目の行程である、青山里(チョンサンリ)共同農場の見学では、青山里精神、青山里方式についての解説もしてもらえます。



今回は、現地でガイドをしてくれた、青山里共同農場の経営を行う青山里共同農場委員会の副代表の方の説明から先に紹介します。



1.現地ガイド(青山里共同農場委員会の副代表)への質疑応答

「あの山の文言は、何て書いてあるんですか?」

「青山里精神、青山里方式万歳!と書いてあります。」

「青山里方式って何ですか?」

「当時、これから農業に力を入れるという時期に、社会主義の中の対人関係のあり方について、金日成主席が打ち出したやり方です。」

「それは、どんな対人関係のあり方なんですか?」

「主席と農民が膝を突き合わせて話し合いをし、党(北朝鮮で長らく一党独裁を続けている朝鮮労働党)は農民の意見をよく聞いた上で、協力して党の目標達成を目指す、というやり方のことです。」

・・・。

「党の目標達成を目指す」のところはわかるとして、「農民の意見をよく聞いた上で」って・・・。
本当なのか?

「その話を金日成がした時、農民はどのように反応したのですか?」

「農民は、最初は偉大な金日成主席が来たことに恐れをなして、金日成主席から遠く離れて立って話を聞いていました。」

そりゃそうでしょう・・・。

「しかし、金日成主席が『もっと近くに集まって話をしよう。』と言ったことを受けて、しだいに輪がせばまり、金日成主席の話に聞き入っていました。」

とのこと。

大企業で働いていたら、初めて見る創業会長がオフィスに来た・・・ような状況かと思えば、農民のリアクションは当然かと思います。

さぞかし、緊張したことでしょう。





2.青山里方式とはどのような方針だったのか?

ジャーナリスト・池上彰氏の著書「そうだったのか! 朝鮮半島 (そうだったのか! シリーズ)」には、青山里方式についても解説があります。

青山里方式のきっかけとなった、金日成が青山里の農民に談話をしたのは1960年の出来事です。

ざっくり言うと

・党の農業生産高の目標達成のために、党は努力は惜しまない
・だから、農民も努力は惜しまずがんばってほしい
・ただし、「党は努力は惜しまない」の「党の努力」は、金日成による思いつきのアドバイスと、農民への根性論の励ましのことを指す
・党は、農民と膝を突き合わせて深く話し合いをし、それを踏まえて党は正しい農業政策を打ち出すようにしたい
・ただし、当然農民は意見など言えない
・だから、農業に関しては素人(というより、多少の経験があるゲリラ戦以外は全て素人ですが)の金日成が考えた思いつきのアイデアを、農民には実行してほしい
・今、青山里で初めてこの話をしたので、青山里がモデルになり、これを受けて全国でこのやり方で成功することを、党は望む

という趣旨の話が、それはそれはもっともらしくなされたようです。



そして、この

「(農業素人の)金日成が全国をまわって、念入りに(我流の)農法を指導し、農民は話し合いの上でそれに同意したというていで、その方針に従う」

という活動をするにあたって、「青山里精神万歳」というスローガンが全国で掲げられるにいたったということのようです。



この青山里精神・青山里方式の中で、金日成が提示したアイデアとその結末については、以下のようなものがあります。


<金日成のアイデア>

北朝鮮は、山地が国土の9割なので、山を全部、段々畑にしたら農業生産高は増えるんじゃない?

<結末>

段々畑を作る方法は、「木を切って畑にする」というだけのものだったので、山がハゲ山になり、大水が続出。
段々畑の作り方もテキトーだったので、段々畑はすぐに崩れて使い物にならず。



<金日成のアイデア>

山を切り開いて段々畑にしたら、トウモロコシを植えよう。
だって、穀物が増えれば少なくとも貧しさは解消されるでしょう。

<結末>

単年草のトウモロコシは段々畑に合わず、土地は痩せ、さらに段々畑の崩壊が進む。
保水能力がなくなり、雨のたびに砂が川に流れ出して川底が浅くなり、洪水被害がさらに増える。



<金日成のアイデア>

米の収穫を増やすためには、同じ面積の田んぼなら、今までよりもぎゅうぎゅうに詰めて稲を植えればいいのでは?
稲と稲の間を詰めて、3倍の密度で田植えをすれば、同じ面積でも3倍の米がとれるんじゃないの?

<結末>

稲に日が当たらなくなり、もともとの収穫高よりも少ない収穫高に。



このような政策に対して、過去の農業の経験から反対意見を持っていた農民も多数いたそうなのですが、偉大な金日成主席のアイデアなので、反対意見は出せません。

こうして、飢餓が発生しただけでなく、この農業問題に端を発する貧困問題は、何十年にもわたる北朝鮮の国家課題となっていきました。

「意見を聞くつもりはあるから、気合いでがんばれ!」と言うだけの青山式方式も問題なのですが、それ以上に、金日成個人崇拝が行き過ぎて、この誤った農業政策を改善できなかったことに問題があったのではないか、という考え方が有力説のようです。




しかし・・・。

この国のすごいところは、私も北朝鮮にわざわざ旅行に行ってわかったのですが、平壌在住のガイドも、共同農場の副代表も、この青山里方針について、何も悪いことだったと思っていないことです。

完全に情報統制が効いている平壌市民だけでなく、農村まで洗脳が効いていると判断してよいと思います。



さて、これにより、北朝鮮は約40年に及ぶ、飢餓と貧困の歴史に突入します。

これが回復の兆しを見せるのは、1998年まで待たなければなりません。




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