- 2024/11/27
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2016年5月の北朝鮮旅行の旅行記ブログby神谷奏六です。北朝鮮旅行の費用、観光スポット、北朝鮮レストランと食事、「北朝鮮旅行は危険?」などの疑問への回答、北朝鮮がわかるオススメ本などまとめています。ページ下(PCで見る場合右)の「【おすすめ】まとめ記事・目次記事」にある記事から読むと、全体がつかみやすいです。
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以上、引用
金日成は、北朝鮮の建国当初から、朝鮮半島統一の機会を狙っていました。
1949年と1950年にソ連を訪問し、スターリンに攻撃の許可を求めています。
特に1950年4月の会談で金日成は、朝鮮半島の武力統一の方針の支持を訴えました。
この事実は、1970年に出版されたソ連の元首相フルシチョフの回顧録で明らかにされています。
さらに、この会談に同席していた南朝鮮労働党の朴憲永(パクホニョン)のメモが公表され、その内容もわかってきました。
金日成は「攻撃は迅速に遂行され、三日あれば勝利できる」とスターリンに言っています。
北朝鮮の人民軍が南に攻め込めば、アメリカの傀儡(かいらい)政権である韓国政府に反感を抱いている南の人民は必ず立ち上がり、速やかな軍事統一が成し遂げられるはずだと訴えたのです。
これに太鼓判を押したのが朴憲永でした。
(中略)
こうして金日成の度重なる説得により、北朝鮮人民軍の南への攻撃が、ソ連に認められたのでした。
中国の毛沢東もソ連に続いて許可を出します。
以上、引用
そもそも、戦争の発端となったのはアメリカのアチソン国務長官による声明でした。
「アメリカは、アリューシャン列島〜日本列島〜沖縄〜フィリピン〜オーストラリアの防衛戦を守る」という宣言です(アチソン声明)。
要するに「ソ連を太平洋には出さないぞ」ということなのですが、アチソンが宣言したラインからは朝鮮半島が抜けています。
「最前線の韓国は守らない」と聞こえても仕方のないこの声明を受けて、スターリンは子飼いの金日成に進撃命令を出しました。
自ら手を汚さず、金日成に指示して韓国に侵攻させたスターリンは、国連安全保障理事会では北朝鮮をかばうべき立場にあるはずです。以上、引用
ところが、安保理がはじまっても、スターリンは以前からもめていた中国問題(中華民国と中華人民共和国のどちらに代表権を認めるか)を理由に欠席を続けます。
この長期欠席の理由が明らかになったのは、ここ十数年ほどの研究の成果です。
ソ連としては、安保理に出席したら北朝鮮をかばって国連軍の出動に拒否権を発動しないわけにはいきません。
スターリンは拒否権発動を避け、朝鮮戦争にアメリカを引きずり込むために、わざと安保理を欠席し続けたというのです。
アメリカ軍が国連軍として朝鮮戦争に参加すれば、そこで起きるのはアメリカと中国の殺し合いです。
これこそがスターリンの狙いでした。
スターリンから見ると、毛沢東は弟分とはいえ、生意気さが目に余るようになってきた存在でした。
1945年に満州から日本軍を追い払ったのはソ連軍です。
ところが、毛沢東は国共内戦がはじまると真っ先に満州に侵入し、日本が残した大工業地帯を押さえます。
ここで得た武器と物資で蒋介石の国民党軍を圧倒したのです。
そして毛沢東は、満州を占領した既成事実をもとに(筆者注:満州の)支配権を正式に認めさせようと、モスクワに飛んでスターリンに直談判します。
もちろんスターリンは認めるわけにはいきません。
生意気な毛沢東と、敵であるアメリカを殺し合わせることができれば、スターリンにとってこれほど都合のいいことはなかったのです。
敵ながらあっぱれと言いたくなるようなスターリンの悪知恵です。
北朝鮮の戦闘機や爆撃機は壊滅状態となっていましたが、その後、散発的に北朝鮮の空軍機(ソ連製のミグ戦闘機)が米軍機に立ち向かい、空中戦が展開されました。以上、引用
(中略)
これはソ連が崩壊して明らかになったことですが、当時の北朝鮮のミグ戦闘機のパイロットは、実はソ連の空軍兵で、北朝鮮の軍服を着て北朝鮮兵を装っていたのです。