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よくわかる北朝鮮旅行2016年5月 by 神谷奏六

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北朝鮮が朝鮮戦争で「勝利」と言うのはねつ造か?洗脳か?いや一理あるのか?(2)「戦勝」の定義から分析する(後編)

このブログでは国どうしの戦いに勝ったら「戦勝」、当初の目的を達成したら「戦争に成功」として、朝鮮戦争はどうだったのか、を見て行きます。


「戦勝」の定義についてはコチラ

「国どうしの戦いに勝ったら戦勝」として、「国どうしの戦いに勝つ」の目安に該当するものがあるかどうか、見て行きたいと思います。



1.相手国を滅亡させたか

例えば、相手の国が滅亡したら、まあ戦いに勝ったと言っていいでしょう。

朝鮮戦争開始時、韓国のトップは李承晩(イスンマン)。

敵対する勢力に韓国民主党や南朝鮮労働党、朝鮮共産党(北朝鮮のほうではなくソウルにあるほう)などがありますので、北朝鮮がこれらと組んだ政権を南に樹立したり、武力統一して朝鮮半島全てを北朝鮮にしてしまったら、北朝鮮は戦勝と言えると思います。

ところが、朝鮮戦争後も李承晩は大統領の座を譲らず、大韓民国は存続しましたので、この点は「戦勝」とは言えないと思います。



2.賠償金を得たか

双方に賠償金の支払いはありませんので、この点でも「戦勝」とは言えないと思います。



3.戦後に占領統治したか

北朝鮮に行くと、博物館や店などに貼ってある「朝鮮民主主義人民共和国」の地図は、朝鮮半島全体を領土としています。

北朝鮮で売られている北朝鮮の地図です。

ちなみに、韓国にある大韓民国の地図も、朝鮮半島全体を領土としています。

これはお互いが相手の国を認めていないためです。

日本もアメリカも北朝鮮を認めていませんが、世界地図は朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の地域を分けて記載しているのを見ると、かなり異様な光景です。

北朝鮮で売られている「朝鮮通史(下)」という朝鮮民主主義人民共和国政府発行の書籍によると、朝鮮戦争前の南朝鮮(韓国)の状況について、以下のように記載があります。

以下、引用
アメリカ帝国主義はかいらい統治基盤の構築を踏まえてかいらい政府(筆者注:李承晩政府のことです)の樹立策動を本格化した。

(中略)

そして、1947年11月14日、国連第2回総会第112次全員会議で、朝鮮代表不参加のもと、追随国が多数を占める状況を利用して、「国連臨時朝鮮委員団」を組織し、その監視のもとに朝鮮で「選挙」を実施して「政府」を作るという不当な決議を強圧的に通過させた。

そしてそれが全朝鮮人民の一致した糾弾を受け、強い反対に出あうと、事前に作成したシナリオにしたがって、1948年2月26日、国連小総会なるもので「国連臨時朝鮮委員団」の「監視」のもとに南朝鮮だけでも単独選挙を実施するという犯罪的な決議を強行採択した。

「国連臨時朝鮮委員団」はアメリカ帝国主義の民族分裂策動を全面的に美化し、南朝鮮でかいらい政権の樹立を企む侵略的道具にすぎなかった。

アメリカ帝国主義の民族分裂は公然たる実現段階に入り、その「単独選挙、単独政府」陰謀によって、国土の両断と民族分裂の危機は目前に迫った。
以上、引用

「不当な」とか「犯罪的」とかの表現は適切ではありませんが、これが北朝鮮政府の歴史認識で、(かいらいではあるが)選挙で正式な政府を作ろうとしている、と認めています。

この後、実際に1948年の5月10日に韓国で選挙が行われ、そこで発足した議会から選出された李承晩が大統領になり、同年8月15日に大韓民国を発足、そのまま1950年には朝鮮戦争に突入しています。

それを受けて今の地図の状態(相手政府を認めておらず南は朝鮮民主主義人民共和国の領土である)と言うことになります、

この場合、

「戦争前は南は李承晩かいらい政権だったが、朝鮮戦争後は南は朝鮮民主主義人民共和国の領土になった」

という意味では、

「当時かいらい政権の領土を、今は占領統治している!だから戦勝なんだ!」

という主張なのでしょうか。

かなり苦しいですし、それでもそれぞれの国の歴史認識なので勝手ですが、やっぱり実行支配がない分、かなり苦しいと言わざるをえないかと思います。


4.降伏させたか

朝鮮戦争はどちらかの降伏ではなく、停戦なのですが、停戦の内容が「降伏というにふさわしい」ものである場合、「国どうしの戦いに勝ったと呼ぶにふさわしい」と言えるかもしれません。

ジャーナリスト池上彰氏の著書「そうだったのか! 朝鮮半島 (そうだったのか! シリーズ)」によると、朝鮮戦争の停戦協定の内容には以下のようなものがあります。

以下、著書より抜粋
会談開始から2年以上たった1953年7月27日、ようやく休戦協定の署名にこぎつけたのです。

主な内容は、南北を分断する約248キロメートルの軍事境界線を設け、その南北約2キロメートルを非武装地帯にして、緩衝地域とすること。

送還を求めるすべての捕虜を妨害することなく送還すること、敵対行為の禁止と、板門店に軍事休戦委員会を設置することなどでした。

(中略)

北朝鮮を代表して金日成、中国人民義勇軍を代表して彭徳懐(ほうとくかい)が、国連軍を代表してM・W・クラークが協定に署名しましたが、李承晩は協定を不服として調印式に参加しませんでした。
以上、著書より抜粋

「韓国(とアメリカ)による敵対行為を止めさせることを納得させた」という意味では、まあ降伏っぽいと言えなくもないと思いますが・・・、これもかなり苦しいと思います。


他にも「戦いに勝った」という要素はあるかもしれませんが、これらを見るとかなり苦しいと思います。

その意味で、「戦いに勝った」という意味での「戦勝」とは言えず、「祖国解放戦争勝利記念館」の「戦争勝利」はやはりかなり強引なように感じます。


次回は、一応、学者などの間で有力説として存在する「戦勝」の定義である、「本来の目的を達成したら戦勝」という定義にも沿って、検証してみたいと思います。

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