- 2024/11/27
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2016年5月の北朝鮮旅行の旅行記ブログby神谷奏六です。北朝鮮旅行の費用、観光スポット、北朝鮮レストランと食事、「北朝鮮旅行は危険?」などの疑問への回答、北朝鮮がわかるオススメ本などまとめています。ページ下(PCで見る場合右)の「【おすすめ】まとめ記事・目次記事」にある記事から読むと、全体がつかみやすいです。
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アメリカ帝国主義はかいらい統治基盤の構築を踏まえてかいらい政府(筆者注:李承晩政府のことです)の樹立策動を本格化した。以上、引用
(中略)
そして、1947年11月14日、国連第2回総会第112次全員会議で、朝鮮代表不参加のもと、追随国が多数を占める状況を利用して、「国連臨時朝鮮委員団」を組織し、その監視のもとに朝鮮で「選挙」を実施して「政府」を作るという不当な決議を強圧的に通過させた。
そしてそれが全朝鮮人民の一致した糾弾を受け、強い反対に出あうと、事前に作成したシナリオにしたがって、1948年2月26日、国連小総会なるもので「国連臨時朝鮮委員団」の「監視」のもとに南朝鮮だけでも単独選挙を実施するという犯罪的な決議を強行採択した。
「国連臨時朝鮮委員団」はアメリカ帝国主義の民族分裂策動を全面的に美化し、南朝鮮でかいらい政権の樹立を企む侵略的道具にすぎなかった。
アメリカ帝国主義の民族分裂は公然たる実現段階に入り、その「単独選挙、単独政府」陰謀によって、国土の両断と民族分裂の危機は目前に迫った。
会談開始から2年以上たった1953年7月27日、ようやく休戦協定の署名にこぎつけたのです。以上、著書より抜粋
主な内容は、南北を分断する約248キロメートルの軍事境界線を設け、その南北約2キロメートルを非武装地帯にして、緩衝地域とすること。
送還を求めるすべての捕虜を妨害することなく送還すること、敵対行為の禁止と、板門店に軍事休戦委員会を設置することなどでした。
(中略)
北朝鮮を代表して金日成、中国人民義勇軍を代表して彭徳懐(ほうとくかい)が、国連軍を代表してM・W・クラークが協定に署名しましたが、李承晩は協定を不服として調印式に参加しませんでした。