- 2024/11/27
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2016年5月の北朝鮮旅行の旅行記ブログby神谷奏六です。北朝鮮旅行の費用、観光スポット、北朝鮮レストランと食事、「北朝鮮旅行は危険?」などの疑問への回答、北朝鮮がわかるオススメ本などまとめています。ページ下(PCで見る場合右)の「【おすすめ】まとめ記事・目次記事」にある記事から読むと、全体がつかみやすいです。
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アメリカ帝国主義とかいらい李承晩(イスンマン)一味は、祖国の自主的平和統一をはかる共和国政府の合理的な法案を拒否し、1950年6月25日、共和国北半部にたいする侵略戦争を起こした。以上、引用
アメリカ帝国主義の指示のもと十余万のかいらい軍は日曜日未明、三十八度線の全域にわたって不意に侵攻を開始し、海州(ヘジュ)、金川(クムチョン)、鉄原(チョルウォン)その他の方向から三十八度線以北1〜2キロメートル地点まで侵入した。
(中略)
金日成主席はそこでつぎのように述べている。
「われわれは祖国の独立と民族の自由と栄誉を守るため断固として敵と戦うべきであります。
敵の野蛮な侵略戦争にたいし、正義の解放戦争をもってこたえなければなりません。
人民軍は敵の侵攻を粉砕し、即時断固たる反撃に転じて武力侵略者を掃滅しなければなりません。」
(中略)
アメリカ帝国主義とかいらい一味の侵攻に抗する朝鮮人民の戦いは、帝国主義の侵略から祖国の自由と独立、民族の自主権を守る反帝民族解放戦争であり、南朝鮮でアメリカ帝国主義とかいらい一味の反動支配体制を一掃し、人民に人間らしい生活をもたらすためのきびしい階級闘争であった。
またこの戦争は、アメリカ帝国主義を戦闘とする帝国主義連合勢力と対抗し、アジアと世界の平和と安全を守る正義の戦いであった。
そもそも、戦争の発端となったのはアメリカのアチソン国務長官による声明でした。以上、抜粋
「アメリカは、アリューシャン列島〜日本列島〜沖縄〜フィリピン〜オーストラリアの防衛戦を守る」という宣言です(アチソン声明)。
要するに「ソ連を太平洋には出さないぞ」ということなのですが、アチソンが宣言したラインからは朝鮮半島が抜けています。
「最前線の韓国は守らない」と聞こえても仕方のないこの声明を受けて、スターリンは子飼いの金日成に進撃命令を出しました。
たちまち北朝鮮軍は「朝鮮半島南部を席巻し」ます。
ここでようやく朝鮮半島の戦略的な意味に気づいたのがマッカーサーです。
朝鮮半島が敵対することは、自分を殺そうとする敵が目の前で武器を構えていることにほかならないと身を持って知ったのです。
後にアメリカ議会で「日本が行った戦争は自衛のための闘いだった」と証言しているほどです。