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よくわかる北朝鮮旅行2016年5月 by 神谷奏六

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北朝鮮旅行のはじまり(3)車窓から北朝鮮の農村を眺めつつ、平壌へ

念入りな入国審査が終わると電車は平壌に向けて発車します。

電車の乗客の大半は北朝鮮に行く中国人で、中国から北朝鮮に帰る人はかなり少数です。

丹東駅でざっと眺めた感じだと、


中国人:8割
中国人以外の外国人観光客:2割以下
北朝鮮人:数人
日本人:2人(実際は既に北京から乗っていた人がもう1人いました。)

という感じでした。


そんな中で私たちのベッドの向かいは北朝鮮人の女性でした。

みなりも綺麗でパーマもあてて、北朝鮮のかなり富裕層のほうの人だと思います。




車窓からのみどころ(1)あらゆる建物に2枚の肖像画

車窓を眺めていて最初に気づくのは、あらゆる建物に金日成と金正日の肖像画が飾られているということです。


しかも、すごい笑顔です。



駅にもいます。


電車にもいます。わかりますか?


ここです。


以下は電車からの写真ではありませんが、

2015年(両氏の死後)に出来た価格技術殿堂にも。


ダムの模型の上にも。

学校、役所、博物館、図書館、スポーツ施設、水道局、工場、なんにもないその辺・・・本当にいたるところに貼ってある、という感じでした。




その後、平壌から私たちについてくれたガイドの方によると、1994年7月8日に金日成主席が亡くなった際は、当時11歳だったガイドの方も

「『今後、私たちはどうして生きていけばよいのか。』という絶望感に打ちひしがれたし、周りの大人も皆、そのような様子だった。」

と言っていました。

それを聞くと、北朝鮮の人にとっては、この肖像画が飾られているほうが自然なのかな、と思いました。





※※※

私はこれまで社会主義国及び元社会主義国は、5カ国に行ったことがあります。

中国(バリバリ社会主義時代だった1990年代と資本主義化した今の両方)、キューバ、ロシア、ベトナム、そして今回の北朝鮮です。


これらの国では基本的に、革命を起こした死んだ英雄の肖像画を飾ります。
生きている人の絵は飾りません。

当時の中国は毛沢東、キューバはチェ・ゲバラ(フィデル・カストロ、ラウル・カストロは存命なので飾らない)、ベトナムはホー・チミンです。

ロシアは誰も飾っていませんでした。
レーニンも、スターリンも、革命家や共産党の独裁者としては珍しく死後に非難されているからかもしれません。

ゴルバチョフは・・・「なんか違う」という感じなのでしょうか。
それか、ソビエト時代の人は別にいいのでしょうか。



北朝鮮に飾られている金日成の肖像画はおそらく1994年の死去に際して飾られたのでしょう。

金日成と金正日が並んでいる巨大な銅像も全国にはあるのですが、それらの銅像は2011年に金正日が亡くなった際に後から2体セットのものに作り替えたそうです。

なので、金正日の肖像がが飾られたのは2011年かもしれません。

そしてやっぱり、金正恩の肖像画は1枚も見ませんでした。

※※※





さて、車窓からの見どころに話を戻します。



車窓からのみどころ(2)農業のやり方が20世紀

農村を見ているとわかるのですが、田植機やコンバインなどの農業機械がほとんどありません。



たまに田んぼの端っこに耕耘機があっても、ほとんど動いていません。



人工的なもので目にするのは自転車と農家くらいです。

北朝鮮の農家は、農業を協力する集落の単位でまとまって平屋に住んでます。


ちょうど5月は田植えシーズンだったのですが、みんなで協力して手で植えています。




国際ジャーナリストの長谷川慶太郎氏の著書「朝鮮崩壊 米中のシナリオと日本」によると、経済制裁と中国の経済崩壊の影響で、北朝鮮は今、深刻な原油不足だそうです。

なので、農機はあっても動かせないのかもしれません。


平壌で私たちについたガイドによると、今のような田植えシーズンは都市部のインテリも、工場労働者も、軍人も、学生も全員総出で田植えを手伝うそうです。

手で。

旅行会社のように外国人のガイド(監視)をしなければならない会社は、協力金としてお金を出すそうです。


田植えの前に田んぼを掘り起こすのはコンバインではなく、牛でやっていました。


道も当然、舗装されていません。

これはさすがに昭和というか、江戸時代くらいのイメージがしました。


農業については詳細の話を聞く機会がありましたので、また追ってレポートします。




車窓からのみどころ(3)山はハゲ山、川は流れっ放し

北朝鮮の山は林業に使われている杉の山はもちろん、木が覆い茂っている山はほとんどありません。

だいたいがハゲ山です。


上記の「朝鮮崩壊 米中のシナリオと日本」によると、かつて朝鮮戦争後に深刻な食料不足があった頃(今もですが)、国のあらゆる土地を農地にするために国策で山を切り開きまくって、片っ端から段々畑にしたことがあったそうです。

普通は段々畑をつくる際には上の畑が崩れて下の畑に落ちてこないように、畑の下側を石垣で固めます。

ところが、北朝鮮では当時、木の杭で固めていたそうです。

なので、その木の杭は数年で腐ってしまって、畑は全て崩れて、結果、ただのハゲ山になってしまったとのことです。


北朝鮮は日本と同じように、国土の大半が山地で構成されています。

こうして車窓から眺める景色は、ハゲ山だらけになってしまったということのようです。


北朝鮮の田舎の景色の独特なところはそれだけではありません。

川が、流れっ放しになっているのです。
いや、どの国でも川は流れっぱなしじゃないか、と思うかもしれませんが、大きな川にも小さな川にも「堤防」がないのです。



川が流れていて、水面のすぐとなりに田んぼや道がある。
堤防がどこにもないのです。

工事の技術がないのか、お金がないのか、そんなことに興味がないのか、そのいずれもなのか、それはわかりません。




その結果、どうなったか?

北朝鮮の山は木がないので保水能力を失い、ちょっとの雨でも川が増水します。

川が増水しても堤防がないので、川がすぐ氾濫します。
そんなわけで、ちょっとの雨で田んぼがダメになるので、食糧難がどんどん悪化していったといいます。

2004年の大雨の際には清川江という川が氾濫し、貴重なエネルギー源である石炭を作る炭坑が水没し、石炭不足も加速したそうです。


人手が足りない、お金もない、ガソリンも足りない、食料も足りない、でも山に木がない上に川に堤防もないから、自然災害から人々を守る力もなければ、それにより石炭も食料もどんどんなくなり、また人が減っていく。

そんな国の様子が車窓から見えるのです。




ちなみに、平壌で私たちについたガイドさんは、そんな説明はしてくれません。

「たびたび訪れる天災に対して、朝鮮人民は努力でそれを乗り越えた。」

という説明でした。



農村を5時間半ほど走ると、いよいよ平壌駅に到着です。

北朝鮮の観光スポットの口コミはトリップアドバイザーでも調べられます。
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